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私はこの瞳で嘘をつく

断るという事は難しい。

先日、マンションを買わないかという電話に、「いりません」と断ると、「どうしてですか?節税になりますよ」という。

断るのに、理由を求められるのだ。

何ゆえに会ったこともない他人に、私がマンションを買わない理由を語らなくてはいけないのか。
何故、「いらない」の一言で済まないのだろうか。

 
友人に、「今週の金曜、仲間内で飲むんだけど、ゆーきさんもおいでよ」と誘われた場合も、「行かない」と答えると、「どうして?」と理由を求められる。

その場合、「行きたくないから」「一人でいたいから」「ゲームをしたいから」といった理由は「ちゃんとした理由」とは認めてもらえない。

「用事があるから」と説明すると、「どんな用事?」とさらに説明を求められる。ここでも、「スーパーで晩御飯のおかずを買う。」「ヤン–ミルズ方程式の存在と質量ギャップ問題を解く」「日本経済の再建策を考える」などの用事は、用事とは認められない。

そこで仕方なく、「出張する」「家族が入院して死にかけている」と嘘をつき、当日は見つからないよう家に閉じこもっていなくてはならないのだ。

自身が「体調が悪いから」という理由も、相手は「どうしたの?」と心配したふりをして説明を求めてくる。意識不明や危篤状態であれば申し分ないが、突き指とか知覚過敏とか夜泣き程度では口実にならない。


仕事を口実に使う場合も、「会議がある」なら口実になるが、「ラブソングにおける普遍的純愛と共同条理の欺瞞的可能性の問題について考える」というのでは口実にならない。

たとえ会議の議題が「迷い込んだ子猫の名前をどうするか」で、出席して居眠りをするだけだとしても、会議の方が口実として通るのだ。

いっそ、断る理由は「法事があるから」でいいという国民的合意が出来ないものかと思う。法事なら、毎日どこかであるから嘘をついたことにならない。

仮に飲み会の誘いに乗っても、正直であり続けることは難しい。

「二軒目いこう!朝までカラオケ行っちゃいましょうよ!」

「私はもう帰らないと、明日早いし。」

「もぉー!いつからそんなに情けない女になったんですか?」

「昨日から。」

何故か正直に「生まれた時から」とは打ち明けられない。


何故断る理由が「ちゃんとした」理由でなくてはいけないのだろう。先日、部下が言った。

「浮かない顔をしていますね。どうしたんですか?」

浮かない顔をするにも理由を求められるのだ。「人生の悲哀を感じている」「会社での人間関係の難しさに心を痛めている」では許されないことが予想されるため、やむなく納得してもらえそうな理由を提出することになる。

「風邪をひいたみたい、熱がありそうなの。」

「睡眠不足が原因ですよ、何故ちゃんと睡眠を取らないんですか?」

「曲を書いていたの。」

「何故もっと早く書かないんですか?」

「早く書けないの。」

「無理なスケジュールを組むからですよ。曲を書かずに、ギャラだけ貰うことは出来ないのですか?」

こうなるとどう弁明しても許してもらえない。浮かない顔をするのも、熱を出すのも、曲を早く書かないのも、理由が必要なのだ。

私のような正直者が嘘で固めた人生を送らざるえないのは、こういう安易に断れない風潮があるからだ。